医療者ニーズ ―伝える技術(4)

メディカルライティングのための「伝える技術」、第4回のテーマは「医療者ニーズ」です。前回は読者のニーズを把握し、そこから伝えるべきメッセージを考えましょうという話でした(ニーズとメッセージ)。しかし、メディカルライティングにおいては、読者のニーズだけではなく、医療者のニーズにも配慮する必要があります。ここが医学・健康情報を扱う上で最も難しいところかもしれません。

読者と医療者のニーズは一致しない(というか真逆)

では、想像してみてください。明日は楽しみにしているイベントがあるのに、夕方ごろからだるく、熱っぽくなってきました。喉にも違和感があるし、くしゃみも出る――。ああ、風邪を引いてしまったかも。もしかすると、いま流行しているインフルエンザかもしれません。

読者のニーズは「早く治りたい」

この人が持っているニーズは「明日のイベントまでに治したい」「症状を何とか抑えたい」「インフルエンザだったら嫌だ(結果を知りたくない)」などではないでしょうか。

実際にgoogleの検索データを調べてみると、「風邪」というワードに加えて「早く 治す」「食べ物」「薬」「治し方」「栄養ドリンク」などと入力している人が山ほどいます。そうだよねぇ。風邪を手っ取り早く治す方法があれば、それに飛びつきたいよねぇ。多少無理をしてでも、明日のイベントに行きたいよねぇ。お気持ちはよ~く分かります。

医療者のニーズは「休息or受診」

ところが、医療者サイドからすると、この読者ニーズは受け入れられない部分もあります。風邪の多くはウイルス感染症ですので、特効薬があるわけではなく、基本的には栄養を摂って早く寝てもらいたい。市販薬で症状を抑えられたとしても、無理にイベントに行くことは、本人の回復にも良い影響はないし、周りの人にうつしてしまうという公衆衛生上のリスクもあります。

もしインフルエンザだったら…。大勢の人が集まる場所に行ってほしくないですよね。また、もしインフル薬が欲しいなら早めに受診してもらって検査する必要があります(※健康で若いならインフル薬がなくても寝てれば治ります)。

このように、病気を早く治したい読者のニーズに対して、医療者はすべて受け入れてあげられるというわけではありません。むしろ、読者にとっては嫌なこと、受け入れがたいことを伝えなくてはならないことの方が多いでしょう。

読者ニーズを知り、医療者ニーズを伝える

さて、このように「対立構造」になりがちな読者ニーズと医療者ニーズの狭間で、メディカルライターはどのようなことを書けばいいでしょうか。ケースバイケースではありますが、基本的には「読者ニーズを踏まえたうえで、医療者ニーズを受け入れやすい形に変換して伝えられるメッセージを考える」ことになると思います。

まさに「医療現場の行動経済学」

2018年の夏に発売された「医療現場の行動経済学」(大竹文雄・平井啓 編著)に、まさにこのようなときのメッセージの考え方がまとまっています(名著なのでぜひ読んでみてください)。この本で紹介されていることを、極限までザックリまとめると、下記のようになるかと思います。

  • 患者は各種のバイアス(サンクコスト、現状維持、現在、利用可能性など)の影響により、合理的な判断ができないことがよくある
  • 医学的に望ましい方向に行動変容させるためには、患者が影響を受けているバイアスなどを考慮し、それを打ち消すようなアプローチが必要
  • 伝え方の工夫(デフォルト変更やナッジなど)次第で、意識と行動を変化させることができる

メッセージの選び方や表現法によって、患者さんの適切(or不適切)な行動が導かれるということですから、責任重大です。…本当に。一般向けの健康情報を出すための医療資格があって然るべきではないかと常日頃思っています。

医療者ニーズを優先し、読者ニーズで寄り添う

ちょっと話が脱線しましたが、メッセージの選び方として私がやっているのは、原則的に医療者ニーズを優先し、読者ニーズは寄り添った文章にするための参考に使うというやり方です。

冒頭の例では、やはり記事としては風邪への基本的な対処としての「休養」を軸に、無理して外出することのデメリットを伝え、必要に応じて病院受診を促すような方向で内容をまとめていくことになろうかと思います。

ただ、このときに「風邪の基礎知識」みたいに教科書的に書いてしまうと、ほとんど伝わらない記事になります。人間は正しいことをそのまま実行できるほど強くはありません。困りごとに共感してもらって、噛み砕かれ、腹落ちしたアドバイスだけが耳に入る生き物です。共感や自分ゴト化のために読者ニーズを活用しましょう。

医療者ニーズを知るには?

最後に、医療者ニーズを確認する方法について触れます。

医療系の教育を受けてきたり、医療関連の仕事をしている人では、医療者ニーズを酌むのはそれほど難しくはないでしょう。しかし、そうではないライターさんにとっては、ここでハードルを感じるようです。

医療者ニーズを知る方法としては、医療者向けの簡単な教科書・参考書を参照したり、医療者が書いた一般向けの記事などを見てみることです。前者では、現代の医学における標準的な治療や対処法がどのようなものか伺い知ることができます。後者では(医療者も一枚岩ではないので色々な意見が出てきますが)信頼性の高そうなものをいくつか眺めていけば、大多数が合意しそうな落としどころが見つかるはずです。あとは医療者に直接尋ねてみたり、経験のあるメディカルライターのサポートを受けるなどの方法があります。

少なくとも、メディカルライティングを行う上で、読者ニーズだけに応じた記事を書いてはいけない、ということだけは肝に銘じておいて欲しいと願います。

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